第8回「名取洋之助写真賞」受賞作品展開催のお知らせ
第8回「名取洋之助写真賞」受賞作品展を2013年1月18日(金)より開催します。
30歳までの”新進写真家の発掘と活動を奨励する”ために創設した「名取洋之助写真賞」第8回の受賞作品展が東京・福島・大阪で開催されます。
展示作品は「名取洋之助写真賞」の安田 菜津紀「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」(カラー30枚)、「名取洋之助写真賞奨励賞」の山本 剛士「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」(モノクロ30枚)です。
入場無料
会期:2013年1月18日(金)〜1月24日(木)時間:10:00~19:00(最終日は16:00)会期:2012年3月22日(金)〜3月28日(木)時間:10:00~19:00(最終日は14:00)
東京会場: | 富士フイルムフォトサロン/東京(フジフイルムスクエア) |
主催: | 公益社団法人日本写真家協会 |
協力: | 富士フイルム株式会社・富士フィルムイメージングシステムズ株式会社 |
大阪会場: | 富士フイルムフォトサロン/大阪(富士フイルム大阪ビル1F) |
主催: | 公益社団法人日本写真家協会 |
協力: | 富士フイルム株式会社・富士フィルムイメージングシステムズ株式会社 |
第8回「名取洋之助写真賞」決まる。
公益社団法人日本写真家協会が新進写真家の発掘と活動を奨励するために、主としてドキュメンタリー分野で活躍している30歳までの写真家を対象とした第8回「名取洋之助写真賞」の選考審査会を、8月27日(月)JCII会議室で、鎌田慧(ルポライター)、大島洋(写真家)、田沼武能(公社・日本写真家協会会長)の3氏によって行いました。
応募者はプロ写真家から大学在学中の学生までの21名23作品。男性15人女性6人。カラー18作品モノクロ5作品でした。
選考は30点の組写真のため審査会場の制約もあり受付け順に7~8作品ずつ3回に分けて行い、第一次審査で12作品を選び、第二次審査で4作品が残りました。最終協議の結果、下記に決定しました。
○二次審査通過者
山本 剛士「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」
安田 菜津紀「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」
帖地 洸平「博多職人=愛情を込めて
黒岩 正和「SATOUMI~瀬戸内の島に生きる~」
○最終審査通過者
山本 剛士「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」
安田 菜津紀「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」
第8回「名取洋之助写真賞」受賞者
安田 菜津紀(やすだ なつき) 1987年神奈川県生まれ。25歳。 2003年 高校生として「国境なき子どもたち」と共にカンボジアを取材。 2009年 日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。 コニカミノルタ フォト・プレミオ。 2010年 第35回「視点」特選。共著『アジア×カメラ「正解」のない旅へ』(第三書館)出版。上智大学卒業。 2011年 共著『ファインダー越しの3.11』(原書房)出版。 現在studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。東京都在住。 |
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作品内容 エイズは「音のない戦争」と呼ばれ世界的な問題とまで拡がっている。作者が2年に亘り通ったウガンダでは、片親もしくは両親を失ったHIV遺児の数は120万人。首都カンパラのスラム街は最も顕著な売春街。そこで育つ13歳のレーガン少年は母子感染で、幼い頃から差別に苦しんできた。「一番恐れなければならないのはHIVではなく、希望を失うこと」(中略)といい切る生き方に作者は注目。女性らしい感性と作風は、新人写真作家誕生にふさわしい作品だ。 |
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受賞者の言葉 名取洋之助写真賞を受賞させて頂き、光栄です。ようやくスタートラインに立てた喜びを感じると同時に、少しでも多くの方に写真を見て頂ける機会を頂いたこと、身の引き締まる思いです。ウガンダで、闘いのような日常を送るエイズ孤児の子どもたちと時間を過ごさせてもらう中、いつも何もできないもどかしさを感じてきました。少しでも何かを返せるよう、写真を通し、彼らの息吹を届け続けることができればと思っております。 |
第8回「名取洋之助写真賞奨励賞」受賞者
山本 剛士(やまもと たけし) 1985年山梨県生まれ。27歳。 日本ジャーナリスト専門学校 写真学科卒業。 第3回「名取洋之助写真賞奨励賞」受賞。現在写真家として修業中。山梨県在住。 |
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作品内容 東日本大震災の後、飯舘村の存在は、原発事故後も毎時20マイクロシーベルトを超える村落。そこで酪農を営んでいる田中一正氏は入植して10年。自営牧場に人生を懸けていた1人。愛ある家族、住み慣れた土地、生活を共にした仲間、飼っていた牛を全て失った。ぶつけようのない感情と苦しみを、作者はモノクローム手法で、丹念に取材を重ね、主人公との信頼関係を築き、一本筋の通った作品は見事にルポルタージュの醍醐味を見せてくれた。 |
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受賞者の言葉 2度目の受賞報告を受けてとても嬉しく光栄だと感じております。名取賞に至りませんでしたが作品制作を通し出会い応援して頂いた方々に感謝の気持ちと自分の力不足、悔しさを一つの軸にこの次の目標への抱負、受賞の喜びを伝えたいと思います。取材でお世話になった田中一正さんは、挫折にめげず現在も酪農家として新たな挑戦を続けています。彼に習い、私もトンボのように後退せず前進する志で新たな足跡を刻みたい。 |
選考風景
第8回「名取洋之助写真賞」選考風景
写真左より鎌田慧(ルポライター)、田沼武能(日本写真家協会会長)、大島洋(写真家)
(平成24年8月27日 JCII会議室 撮影・小城崇史)
審査総評
第8回「名取洋之助写真賞」講評
田沼武能(日本写真家協会会長)
第8回「名取洋之助写真賞」の選考は、去る8月27日におこなわれた。今回の応募者は21名と少なかったが、内容は例年と変わらず力作が集まった。全体としては活力を感ずる作品が少なかった。テーマに惹かれて説明的要素にこだわりすぎるように思う。テーマに肉迫して撮影し、その中で物語を構成することも考えて欲しい。その中からピカリと輝きを見せたのが名取賞に選ばれてた安田菜津紀さんの「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」であった。
HIV感染は世界的な問題であり、人間社会にとって見のがせない。ウガンダはアフリカで最初にエイズ患者が見つかった国である。安田さんはそのウガンダに2年通いこの作品を作りあげたという。大人のHIV感染の多くは性的関係によるものと輸血にある。小児感染は母子感染によるもの、その孤児たちにスポットをあてながらHIVの問題を提起し、ストーリーを組立てている。そのHIV感染者が希望と絶望の間に生きる微妙な心理をも捉えた秀作である。作者は同じテーマでカンボジアの問題も撮影し応募しており、3回目の応募で念願の名取賞をとらえた。
奨励賞受賞の山本剛士さんは、これまでに5回応募しており、第3回奨励賞を受賞している。今回の「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」は、昨年の東日本大震災による原発事故で被災した酪農家をドキュメントしたものである。これは今、日本が抱える大きな社会問題を酪農家を通して表現したもので、放射能汚染により牛との死別、また牛乳を捨てなければならぬ苦悩を捉えている。山本さんはモノクローム写真により一層その問題を強く表現した力作である。欲を言えばこの村のロケーションが必要、また重複している廃棄する牛乳の情景の整理をすると作者の意図がより強く伝わると思う。ドキュメント写真はその時代、即ち現代を後世に伝える重要な責務があると考える。その若者たちの登竜門となる名取洋之助写真賞に来年も素晴らしい作品を応募して欲しい。
第8回「名取洋之助写真賞」選評
鎌田慧(ルポライター)
名取洋之助賞にむけて、全国から送られてくる、若い人たちの意欲的な作品を年に一回みられるのは、とても刺激的である。
自分に課したテーマに、さまざまな角度から迫ろうとする努力は、これから写真の仕事をしていこうとするひとたちに、貴重な試練をあたえているのを感じることができる。
賞を得る人もいる。惜しくも選から洩れるひともいる。それでも、組写真による多角的な表現と綿密な構成力が迫られるこの賞への挑戦が、若いカメラマンたちを鍛えている、ということを、応募作品にこめられている熱意によって理解させられる。
名取賞は安田菜津紀さんの「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」に全員一致で決定した。安田さんの心優しい作品は、昨年の応募作品でも注目されていた。今回は「カンボジアでのエイズ」と合わせた応募だった。エイズをなくそうとする献身的な取材活動は頼もしい。ウガンダのほうが、空間的な拡がりを感じさせられ、印象的な写真が多かった。
とりわけ、少年たちの眼差しの強さは、「母子感染」という不条理な運命を凝視しているようで、訴求力がつよい。「エイズ遺児」という子どもたちが多い、と安田さんは書きつけている。
これらの悲劇を包みこんでいる、アフリカの大自然もよく映っている。このような広大な大地と大空のもとでも、苦しんでいる母子がいる。紅い大地をいく親子3人連れの後ろ姿、この締めの1枚は、絶望でも希望でもない未来を感じさせる。生き続けていく、という静かなメッセージである。
山本剛士さんの「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」が奨励賞になった。
汚染された牛から搾られる牛乳は、ムダに捨てられるしかない。原発は膨大な自然界の営みを犠牲にした。捨てられた牛乳は大きな池をつくりだしている。
自殺した酪農家の「原発さえなければ」「やる気力なくした」という抗議の文字も映しだされている。原発事故の貴重な記録である。牛の死骸、一頭もいなくなってしまった空虚な牛舎、儀礼的に頭を下げる東電社員など、貴重な写真が抑えられている。
それでも、まだなにか足りない気持にさせられるのはなぜか。空間の拡がりがたりない、どこか静的である、1枚の写真の訴求力が甘い、などを指摘できよう。対象との近さがたりないのは、関わっている時間がすくないからかもしれない。
願わくば、さらに時間をかけ、ものごとが動きだすまでのつき合いが必要なような気がする。福島原発事故についての貴重な応募作品である。さらに豊かな表現になるための時間をつくってほしい。
つぎにわたしが好感をもったのは、黒岩正和さんの「SATOUMI~瀬戸内の島に生きる~」だった。瀬戸内の島の空気と人びとの明るい表情がよく捉えられている。
第8回「名取洋之助写真賞」選考総評
大島洋(写真家)
今年度の応募作品数は昨年と比べても少なく、ドキュメンタリー写真の今日的困難の大きさを強く実感させられた。それは取材と表現に関わる広い意味での方法論においても、経済的側面においても窺い知ることができるものであり、殊に名取洋之助写真賞の応募資格世代の人たちにとっての、その困難の大きさには計り知れないものがある。しかし昨年と同様にその半数以上が第二次審査に残り、拮抗するレベルの高い力を示した作品が多かった。その結果、最終選考には4作品が残り、名取洋之助写真賞は安田菜津紀さんの「HIVと共に生まれる-ウガンダのエイズ孤児たち-」に、奨励賞は山本剛士さんの「福島原発事故~『酪農家の記憶』~飯舘村長泥封鎖」に決まった。前述した困難な状況を思うにつけ、根気強く息の長い仕事を続けるお2人の受賞の結果を嬉しく思う。
安田菜津紀さんは前年度もHIVをテーマにした作品で最終選考に残り、撮影取材という関係を超えて撮り続けているその真摯な姿勢と眼差しが印象的だった。だからこそ更に継続して関係と視座を掘り下げながら撮り続けることができたのだろうし、生まれながらにしてエイズと深く関わって生きることを強いられる「エイズ孤児たち」の世界を、時の重層性と彼らの心の裡まで見事に表すことができたのだと考える。安田さんは受賞作品と共通テーマを持つ「HIVと共に生きる-カンボジア、緑の壁を越えて-」も応募していて、この作品や前年度の作品も含めて、写真家として、ドキュメンタリストとして大きな可能性に向かっていることも強く評価したい。
山本剛士さんの作品は、福島原発事故から以降の飯舘村と酪農家の困難な戦いの時間の記録である。これからも長く続くに違いない日々に帯同してゆくだろう覚悟も伝わってくる労作である。村民の、酪農家の、そして日本人の精神や心の裡にまでカメラの眼が届くような仕事にしていただきたいと思う。山本さんもこれまでたびたび本賞への応募があり、第3回では奨励賞も受賞している。重ねて、根気強く息の長い仕事の結果を評価し、さらなる今後を期待したい。
最終選考に残った帖地洸平さんの「博多職人=愛情を込めて」、黒岩正和さんの「SATOUMI~瀬戸内の島に生きる~」も、日常の中にテーマを求める真摯な姿勢と、気負いのない眼差しに惹かれた。