2022年05月19日 桑原史成
この2月24日に、大国・ロシアは隣国のウクライナへの軍事的「特殊作戦」に打って出た。しかし実態は侵略戦に他ならない。ちょうど30年前までは旧ソビエト連邦で、同じスラブ民族、言葉や習慣、宗教などで「兄弟国」とまで言われていた。何故にロシアはウクライナに侵攻したのか。
かつての米国と世界の覇権を争った旧ソビエト連邦が崩壊したのは、1991年12月である。その4ヶ月前の8月19日に首都のモスクワで保守派による軍事クーデターが起きた。このクーデターから世界を震撼させる東西両陣営の一方の瓦解が始まったのである。実は、この時に僕は取材でモスクワに滞在しており、千載一遇の歴史のど真ん中の現場に立たされた。
想定もしない軍事クーデターを、クレムリン宮殿に向けて進軍する数十台の戦車隊の轟音に慄きながら撮影を始めた。ソビエト連邦は、大国のロシアの他に14の共和国で成り立っていた。当時、僕は、いまロシアによる侵攻作戦が激化しているウクライナをはじめグルジア(現ジョージア)、アルメニア、また紛争地ナゴルノ・カラバフなどへ足を運んだ。
クーデターから5日目の8月24日に、共産党の改革派と言われたゴルバチョフ書記長が辞意を表明し、続いてバルト三国が分離独立した。12月にソ連邦は、1917年のロシア革命から74年の歴史に幕を閉じ、大国の社会主義国は崩壊したのである。
旧ソビエト連邦を構成していた15カ国のうちのバルト3カ国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)は、すでに米国に代表されるNATO(北大西洋条約機構)に加盟し、さらにジョージアも加盟を求めている。ロシアを包囲する動きに、かつての社会主義の「ソビエト連邦」は、誇り高い“赤い帝国の宗主国”で苛立ちを隠せない。強大な軍事力と広大な国土、それに豊富な天然資源を有しながら世界を主導する新たな盟主ととなれないプーチン大統領とロシア、そして「旧ソ連邦」や帝政ロシアへの回帰に近い羨望とも言える焦りがあるのではなかろうか。そして言い難い表現だが”屈折した国家”の葛藤と苦悩があるように映る。
桑原 史成
写真展情報
会 期:5月6日(金)〜31日(火)
会 場:アートスペース丸の内
時 間:8:00〜22:00(日曜 10:00〜22:00)
https://www.ne.jp/asahi/kaiseido/photo/gallery.html