2015年第11回「名取洋之助写真賞」決まる
公益社団法人日本写真家協会が新進写真家の発掘と活動を奨励するために、主としてドキュメンタリー分野で活躍している35歳までの写真家を対象とした2015年第11回「名取洋之助写真賞」の選考審査会を、8月31日(月)JCII会議室で、飯沢耕太郎(写真評論家)、広河隆一(フォトジャーナリスト)、田沼武能(写真家)の3氏によって行いました。
応募者はプロ写真家から大学在学中の学生までの16名16作品。男性13人女性3人。カラー10作品、モノクロ3作品、混合3作品でした。
選考は1組30枚の組写真のため審査会場の制約もあり受付け順に8作品ずつ2回に分けて行い、第一次審査で7作品を選び、最終協議の結果、下記に決定しました。
○一次審査通過者
増田 貴大 「終わりの気配」 志村 賢一 「Export works」
児玉 和也 「風の吹く場所」 鳥飼 祥恵 「amputee boy-けんちゃん-」
片岡 和志 「命の記憶」 松岡 正明 「物質の記憶とゆらぎ」
髙橋 健太郎 「HIROSHIMA2015」
○最終審査通過者
鳥飼 祥恵 「amputee boy-けんちゃん-」
増田 貴大 「終わりの気配」
2015年第11回「名取洋之助写真賞」受賞
鳥飼 祥恵(とりかい さちえ)
1982年 富山県出身。32歳。2010年 都内の写真学校を卒業。
2012年 フリーランスとして活動開始。 2014年 JCII主催水谷塾 修了。東京都在住。
受賞作品 「amputee boy-けんちゃん-」(カラー30枚)
作品について
上肢、下肢の切断障害を持った選手がプレーするアンプティサッカーの撮影で出会った少年賢ちゃんに魅了された作者は、身体障害者の子どもにレンズを向けることに迷いを抱きつつ、保護者に連絡をとる。撮影の快諾を受け、賢ちゃんの所属するチームに足を運ぶ。そこでまわりの大人たちの賢ちゃんを気遣うおせっかいで明るい姿を見た。昔の日本には当たり前のようにあった懐かしい人間関係をとらえた作品
受賞者のことば
賢は強運の持ち主なんです」。けんちゃんのお母様に初めてお会いした時、こんな言葉をもらいました。事故で片足を失った子が強運だと明言され、正直戸惑いました。しかし、今はその意味が明確に理解できます。きっと今回の受賞も彼の強運にあやかったのだと思います。けんちゃんはもちろん、ご家族、そして、アウボラーダ川崎の皆さんにこの賞を捧げます。「けんちゃん」が「けん君」そして「石井賢」となる日が今から楽しみです。
2015年第11回「名取洋之助写真賞奨励賞」受賞
増田 貴大(ますだ たかひろ)
1980年 大阪府生まれ。35歳。2000年(20歳)より写真を始める。
2003年 宝塚造形芸術大学(現:宝塚大学)美術学科 洋画コース卒業。
2004年 グループ展 第2回「モノクロ倶楽部」(千スペース/大阪)。
2005年 MIO写真奨励賞審査員特別賞受賞(選考:平木収先生)。大阪府在住。
作品について
山陽新幹線(新大阪~広島)の車内から、沿線に暮らす人々を撮影した作品。カメラによって切り取った人々の一瞬から「死の臭い」を感じた作者。肉眼では捉える事の出来なかった死の気配を、写真という技術によって可視化の域に近づける可能性に気づき、作者は写真術を得た意義を強く感じたという。
受賞者のことば
本当に嬉しいです。今迄針の筵に包まれて写真を撮っていました。身内からはイイ歳して何やってんだと溜息はつかれるし、世間からは「この人、毎日電車の窓に張りついてる」と白い目でみられるし、全身がチクチク痛かったです。でも今回賞に選んで頂いたお陰で、ようやく針の筵から解放されました。自分のしている事に引け目を感じなくなりました。これからは気持ち良く撮影ができます。それが何よりも嬉しいです。
<2015年第11回「名取洋之助写真賞」 総評>
選考風景(平成27年8月31日 JCII会議室 撮影・小城崇史)
田沼 武能(写真家・公益社団法人日本写真家協会前会長)
今年の名取洋之助写真賞に応募された中で一番輝いていたのは鳥飼祥恵さんの「amputee boy -けんちゃん-」であった。けんちゃんは交通事故で左足を失った。そのハンディにもめげず明るく懸命に生きるけなげな姿が捉えられている。作者はスポーツ写真の教室に通い学んだという。サッカースポーツに専念する彼のクラッチ(杖)を使い全身で躍動する光景を捉えているが、それ以上に彼の心理を、人間けんちゃんの生きる姿に心が惹かれる。母親や妹たちとの絆、アンプティサッカー協会のインストラクターの熱心な指導にも感動を呼ぶ、心温まるヒューマンなフォトストーリーである。画面の展開も女性的な繊細さがありながら、力強さも盛り込まれており、名取洋之助写真賞にふさわしい作品である。
奨励賞、増田貴大さんの「終わりの気配」は、新幹線の車窓から見える社会、漠然と見る沿線にもこれだけの人間ドラマが繰り広げられている。そんな発見を感じる作品である。しかし、作者はそこに「終わりの気配」「死の臭い」を感じるというが、いささかコメントには難があるように思う。
日本写真家協会は若いフォトジャーナリストの育成を願い名取洋之助写真賞を創設した。時代を記録し伝え、残すためには大切な役を担う写真のジャンルである。若い写真家の登場を切に望みます。
飯沢 耕太郎(写真評論家)
初めて賞の選考に参加させていただいて、ドキュメンタリー写真の現在のあり方について、いろいろ考えさせられた。東日本大震災を経て、新たな方法論の模索が始まっているが、まだ地に足がついたものにはなっていない。その過渡期の状況が、今回の応募作品にもよくあらわれていて、迷いや踏み込みの甘さが目立つものが多かったのは残念だった。
その中で、審査員全員が高く評価したのが、名取洋之助写真賞を受賞した鳥飼祥恵さんの「amputee boy-けんちゃん-」である。障害のあるサッカー少年を丹念に取材した作品だが、しっかりとコミュニケーションをとりつつ彼や周囲の人たちにカメラを向けていることがよくわかる。人間関係が希薄になりつつある今、一人の男の子の成長をポジティブな眼差しで見守っている「ちょっとおせっかいな大人たち」の姿が、いきいきと浮かび上がってくる。
別な意味で面白かったのが、名取洋之助写真賞奨励賞を受賞した増田貴大さんの「終わりの気配」である。山陽新幹線の車窓から沿線の光景を写しとめたものだが、ロバート・F・ケネディの「葬送列車」を見送る人々を撮影したポール・フスコの名作「RFK funeral train」(1968)を思い出した。たしかに、生と死とが交錯する現代日本の断面図が見えてくる。
広河 隆一(フォトジャーナリスト)
今回の応募作品の審査は、私にとってかなり苦しい作業だった。半分見終わった時に、私が賞に推したい作品は見当たらなかった。だから鳥飼祥恵さんの作品「amputee boy-けんちゃん-」を見た時、私は安堵した。交通事故で片足を切断した男の子がサッカーに打ち込む姿と、周りの人々が彼を支える様子が見事に写し込まれていた。名取洋之助賞に値する作品、これから応援し続けていきたい作家がとうとう見つかったと思った。「応募してくれてありがとう」というのが正直な気持ちだった。
日本写真家協会の会員は、あらゆるジャンルの写真分野にかかわる。写真の多様性と可能性は大きな魅力だ。増田貴大さんの「終わりの気配」のテクニックには舌を巻くし、表現力は非常に優れている。しかし名取洋之助賞というからには、フォトジャーナリズムの特集部門が対象ということになると私は考えている。これが名取洋之助賞でなく、芸術を含むすべての部門の写真を対象とした日本写真家協会賞のようなものなら文句なしで入選かもしれない。
日本はカメラ大国であるのに、フォトジャーナリストの層が非常に薄い。日本写真家協会には、若きフォトジャーナリストを育てる根本的な取り組みを期待したい。