第5回「笹本恒子写真賞」 受賞者 西野嘉憲さんに決定

第5回「笹本恒子写真賞」 受賞者

西野 嘉憲(にしの よしのり)

 

【受賞理由】

写真集『熊を撃つ』『海人-八重山の海を歩く』に結実した、伝統的な狩猟や漁撈に生きる人たちを対象とする、長年にわたる真摯な取材活動と傑出した作品に対して。

西野 嘉憲 プロフィール

1969年大阪府生まれ。大学在学中の1991年より琉球列島などを旅し、風土に生きる人々の撮影をはじめる。
東京の広告制作会社勤務を経て、2005年より沖縄県石垣島を拠点にフリーランスとして活動。漁業、狩猟、捕鯨など、人と野生の関わりを写真の主なテーマとする。

日経ナショナル ジオグラフィック写真賞2018ピープル部門最優秀賞受賞。

【著書・写真集】

『海を歩く』『ハブの棲む島』(ともにポプラ社)

『石垣島 海人のしごと』『光るキノコと夜の森』(ともに岩波書店)

『鯨と生きる』『海人─八重山の海を歩く』(ともに平凡社)

『熊を撃つ』(閑人堂)

【最近の主な写真展】

「房州捕鯨」太地町立石垣記念館 2018年

「海人三郎」キヤノンギャラリー 2019年

「熊を撃つ」オリンパスギャラリー東京 2022年

 

 

【受賞の言葉】

笹本恒子様のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げるとともに、改めてこれまでの偉業に敬意を表します。

私がテーマにしている漁業や狩猟は、人間と野生生物との命のやりとりです。獲物が食料に変わる過程は凄惨な場面もありますが、そこには生きる喜びと希望があふれていると感じ、シャッターを切ってきました。

我々が「先進」と呼ぶ国々の都市部では、命の存在がすっかり希薄になってしまいました。しかし生と死への自覚は、人間が生物であること、ひいては地球の一員であることを思いださせてくれるはずです。極大した人口と文明が引き起こす数々の問題に向き合わざるをえない現在、狩猟採集という原初的な営みにたち帰って、人間が本来あるべき姿を考えたいと思います。


【お知らせ】

授賞式:12月7日(水) アルカディア市ヶ谷(予定)

写真展:12月22日(木)~28日(水) アイデムフォトギャラリー[シリウス]

 

【笹本恒子写真賞について】

わが国初の女性報道写真家として活躍された笹本恒子(1914年生)名誉会員の多年にわたる業績を記念して、実績ある写真家の活動を支援する「笹本恒子写真賞」を平成28(2016)年に創設。選考委員は野町和嘉(日本写真家協会会長)、前川貴行(写真家)、佐伯剛(編集者)(敬称略)。


笹本恒子(ささもと・つねこ)略歴

笹本さんは1914(大正3)年東京生まれ。画家を志してアルバイトとして東京日日新聞社(現毎日新聞社)で、紙面のカットを描いていたところ、1940(昭和15年)財団法人写真協会の誘いで報道写真家に転身。日独伊三国同盟の婦人祝賀会を手始めに、戦時中の様々な国際会議などを撮影。戦後はフリーとして活動をし、安保闘争から時の人物を数多く撮影。JPS創立会員。写真集の出版、執筆。写真展、講演会等で活躍した。2022年8月15日老衰にて逝去。107歳。

受賞歴

1996年東京女性財団賞、2001年第16回ダイヤモンド賞、2011年吉川英治文化賞、日本写真協会功労賞、2014年ベストドレッサー賞特別賞受賞。

2016年写真界のアカデミー賞といわれる「ルーシー賞」(生涯にわたる業績部門)受賞。

 

 

【選評】

野町 和嘉

写真集『熊を撃つ』閑人堂
写真集『海人-八重山の海を歩く』平凡社

長さ5メートルの銛を武器に、素潜りで獲物に迫る沖縄の漁師を執拗に追った「海人」。一方に、雪深い飛越地方最奥の山岳に分け入ってツキノワグマと対峙する猟師たち。野生の命と真っ正面から向き合う、古来からの伝統的な狩猟に生きる人々を、西野氏は狩猟民と呼んでいる。獲物と向き合い世代を超えて受け継がれてきた智恵と緊張感、そして狩猟民たちを抱擁する風土と、西野氏は時間をかけて向き合ってきた。海の狩猟民に魅せられ石垣島に住み着いて二十年余、そして厳冬の飛越地方最奥で行われる熊猟の撮影に、石垣島から10年近く毎年のように通い続けてきた。狩猟民から深い信頼を得て雪山の行軍に同行するという徹底した向き合い方で、熊猟という命のやりとりを巡る緊迫の一瞬を真っ向からとらえた類を見ない力作である。その1枚には、熊猟の一瞬にいたる広大な時空が写しとられている。

最終選考には、宮嶋茂樹氏が一貫して取り組んで来た紛争地報道写真と、サハリンに暮らす残留日本人・朝鮮人たちの日々を、歳月を通して記録してきた新田樹氏の『Sakhalin』(シーシャズプレス)の2作品も残った。この度のウクライナ紛争にもいち早く駆けつけ、週刊誌グラビアとネット報道で凄 惨な戦争の現実をリアルタイムで伝えた宮嶋氏の一貫した姿勢は、他の追随を許さない濃密なものだ。異境の地に忘れられ、最晩年を生きる人々に向けられた、新田氏の深い共感の眼差しには味わい深いものが感じ取れた。

 

前川 貴行

西野嘉憲氏は水中撮影に軸足を置いた写真家で、海とそこに生きる人々を根気よく追い続け、熱気ほとばしる作品集を世に送りだしている。勢いがあるだけでなく、必要な表現を緻密な計算か、または鋭い直観で選択し撮影構成する眼力は、並々ならぬものがある。

代表作の『海人-八重山の海を歩く』では沖縄の漁師に密着し、彼らの信頼を得なければ到底撮ることができない、裸のつきあいで撮影に臨んでいることが伝わる。

最新作の『熊を撃つ』では、フィールドを海から奥山へと移し、飛騨地方のマタギの暮らしぶりに迫るが、ここでもまた丹念な取材力を遺憾無く発揮している。フィールドが、得意とする海から山へと変化すれども、写真力が衰えることなど微塵もなく、新しい境地を開いていることに驚きを隠せない。被写体や置かれた境遇に関係なく、狙いを定めた西野氏のブレない仕事の進め方は、写真家のあるべき姿をストレートに教えてくれる。だが、かなりの時間と粘り強い労力をかけるこれらの取り組みは、そう簡単に真似のできるものではない。矢継ぎ早とはいかないだろうが、確実に進化し続ける西野氏が、今後どのような仕事を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

 

佐伯 剛

写真にかぎらず、音楽や絵画などにおいても最新の機器を使って誰でも簡単に自分の作品を発表できる時代だが、人々の記憶に長く残り続ける表現と、そうでないものの間には明らかな差があり、その差は、技術の差もあるが、それ以外の理由の方が大きい。

一度見たら忘れられない魅力のある写真を、ノンフィクションの領域で撮り続けている人こそ笹本恒子賞に相応しく、そういう意味で、今回は、西野嘉憲さんを強く推させていただいた。西野さんの写真の魅力は、野生と、野生を相手に糧を得る人間と、写真家の三者の関係性において、それぞれの”必死”が貫かれていることで、その緊迫感が美に昇華している。いわゆる目の付け所で新しさを競うような写真ではなく、時代を超えて伝えられていくべきものが写真に反映されており、人類というのは、何千年以上、こうした必死の営みを続けてきたのだということが、説得力をもって伝わってくる。

「必死」であることは、その言葉どおり、いずれ死ぬ宿命にもかかわらず、覚悟を決めて全力を注ぐことであり、その厳粛さと崇高さこそが、生と死の二面が生物界に存在する意義なのだろう。「人はなぜ生きるのか」という問いは、安心と安楽を幸福の基準とする消費産業社会における、生命本能の違和感と戸惑いの呟きなのかもしれない。

西野嘉憲さんが、広告制作会社勤務を経て、野生と人間の関係に向き合う仕事に没入していったことが興味深い。消費産業社会の中で膨れ上がった違和感を無聊の慰めでごまかさず、生きる意味に対する問いと誠実に向き合い続けた結果なのだろうか。